学びとは
- 2023/02/25
- 23:59
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— 学びのきほん (@manabinokihon) February 2, 2023
金継ぎを学ばせていただいている、6次元、ナカムラクニオ先生のお名前があったので、本屋さんでいただいてきました。
(自分では書店内のどこに置かれているのか探し出せず、結局店員さんに話しかけたら一生懸命探してくださいました。ちなみに1店舗目では見つけ出せず、店員さんにも聞かなかったのですが、聞けばあったのかもしれません。読んでみたい方は、店員さんに聞くのが早いかも)

高校生の頃、クラスメイトが次々と目標を定め、受験する大学を絞っていくのを見て、一体彼らは、第一志望以外の学校を、どうやって決めたのかと愕然としました。
やりたいこと、向かうべき道が高校2、3年生ですでに明確である、優秀なクラスメイトたちとは異なり、自分の人生に対して、たいした成果もあげられないまま大学の4年間を過ごし、大人になってから、なんなら今が1番、学びに能動的といえるかもしれません。といっても、机に齧り付いているわけではなく、知りたいときに知りたいことを調べたり、そうしている間にまた知らないことに出会い、コレは何だろう?と調べているだけなので、果たしてこれが学びといえるかどうかはわかりませんが笑。
「学び」は学生時代「成績をあげる」という目的のために「しなければならない」ものでした。
およそ能動的とはいえない言葉が付いてくるため、つい拒否反応を示してしまいます。
しかし、上にも書いたように、知りたいことが明確になると、「学ぶ」ことは途端に楽しくなります。
知りたいことを知るという、ごくシンプルなことだから。
こうしてブログを書いていると、自分の感想以外のことは、知らずに適当に書くわけにいかないので、頻繁に調べ事がでてきます。
1つだけの記事では信憑性に欠ける場合もあるので、そういうときは、いくつかの記事を読み、咀嚼し、自分なりにまとめます。
たとえばお正月、世良田東照宮参拝の際、地元と徳川家についての関係について書きましたが、私は歴史が大の苦手です。
ある意味、だからこそ書く意味がある気もするのですが。。。(私と同じように歴史が苦手な方は、あまり難しいことを書かれてもわからないですもんね。私くらいがちょうどいいこともある。。。はず笑)
なのでブログを書く前に一通り調べています。しかし歴史のテストのために丸暗記しなければならなかったあの頃とは違い、自分から出るシンプルな疑問に対する答えを調べているだけなので、楽しいのです。
へえ!そうだったのかってね。
そうやって一つ、またひとつと学んでいくことが出来るのです。
冊子の、ナカムラクニオ先生の文章にこうありました。
学べば学ぶほど、人は自分の無知さに気づき、学べば学ぶほど、自分が何をしたいか分かるところもおもしろい。
そういえばソクラテスの言葉にも「無知の知」というものがあります。(自分が無知であることを自覚することは、自分は何でも知っていると思いこんでいる人よりも優れている。真の知識を得よということ)
また別の方は、こう書いていました。
「学び」には、学ぶ目的そのものがわかる、という側面が ある。自分が学びたいと思っていたことが違うかもしれないと気づく。かつては思いもよらなかったことに興味関心が芽生える。それも「学び」の成果だ。「学び」が事前の目的や目標どおりに進まないことは、むしろ積極的に評価すべきなのだ。
幸福感に関しては、足るを知ることがいい。しかし学びに関しては、生涯「知りたい」という好奇心をなくさずにいたいものです。
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