主人と奴隷の弁証法

 21, 2016 20:27
昨日は、いいお天気にウキウキして、二子玉川の蔦屋に行ってきました。
世間は3連休、子どもたちの声が響き渡ります。
 
 
限りなく続く本を見て歩いているだけでも楽しくなってしまいますが、本棚に並ぶそれは、目にも鮮やか。
沢山の色鮮やかな表紙が並んだ姿は、まるでサラダのようでした。
 
 
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こんにちは。
 
珈琲豆・陶器・洋服
熊谷のセレクトショップ【Riyon】 みわです。
 
 
いつものように珈琲を買うと、私は、気になって手を伸ばした本を3冊持ち、席につきました。(勿論、珈琲と本は一緒に持たないですよ。汚すと大変なので)
 
 
そのうち1冊は哲学書(を私でもわかるように、とってもとっても簡単に書いてある本)でした。
読んでいてとても興味深いものがあったので、ちょっと紹介したいと思います
 
 
 
ヘーゲルの論考に、「主人と奴隷の弁証法」というものがあるそうです。
 
 
ヘーゲルは、人間は、他者からの承認欲求のために、生命をかけた戦いが展開されると考えました。
その結果、危険を顧みずに奮闘した者(戦いに勝った者)は主人となり、生命を危険にさらすことを拒んだ者(敗れた者)は奴隷となります。
 
人間が闘うのは、自分の価値を他者に認めさせるためであるため、敵を全部殺してしまっては、自分の価値を認めてくれる他者がいなくなってしまうからです。
 
つまり負かした相手には、生命と意識は残しておき、自律性のみを破壊するに留めておくのです。
ところが、ここで矛盾が生じます。
 
というのも、主人と奴隷の関係は、一見、一方的な関係に見えますが、よく考えるとそうではないのです。
両者は互いに相手がいることを前提として成り立っているからです。
 
だって、奴隷が存在しなければ「主人」にはなりえませんよね。
 
 
つまり、生命をかけて戦いに勝ったにもかかわらず、主人は奴隷を支配することで現状に満足し、戦いの意義はいつの間にか失われてゆくのです。
そして奴隷となった者は、奴隷という身分を経ることで自立することが可能となったのです。何故でしょうか?
 
 
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主人の欲望を満たすために物を加工する行為、すなわち「労働」によって、奴隷は自立の意識を具現化することができるようになるからです。
 
 
要は、はじめに優位だった主人よりも、一見主人に従属しているだけに見えた奴隷が、労働を契機として、実は主人を超える承認獲得・自己実現をなしうる可能性を持っているという論理です。
 
これによりヘーゲルは、
「労働は、理想的な個人や、社会へと至るための重要な回路」
として位置づけているようです。
 
 
ちなみに、ヘーゲルが労働を、苦痛や強制といった側面からみる議論をしないことで、後にマルクスにあーだこーだ(ざっくり(笑))いわれたらしいです。
 
それにしても、私の知る経営者さんたちは、少なくとも、苦痛や強制を感じさせません。
従業員も巻き込んで、誰よりも自らがすすんで楽しく働くことで、「自分だけの会社」にもならないし、ましてや「従業員に依存して自分では何もできない」ということに陥ることもありません。
 
そして、雇われる側も、それに巻き込まれて楽しく働くことで、自律性が育ち、そのうえ承認欲求まで満たされるようになると思います。
 
このように、経営者と従業員の相互承認は、お客さんの立場としても、見ていて気持ちのいいものです。
社長が笑っていて、従業員も笑っている会社がいいですね
 
 
 
 
 
 
 
 
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