必要のないもの。ずっと必要なもの。
- 2020/02/21
- 23:55
iCloudがいっぱいでバックアップできませんと通知がくるのを無視すること1週間。ようやく写真や動画の整理をしました。
久しぶりに昔の写真をみたら、なんでこの写真撮ったんだろうというものもあれば、1年経っても5年経っても、とっておきたい思い出も沢山あります。
お掃除の最中に昔のアルバムを見つけてしまったときのように、これはなんの動画だろうと再生してはケラケラと笑っていました。
仕事柄、展示会なんかで資料として撮るものもあるから、そういうのは古くなればなんにも考えずにゴミ箱に入れられるけど、思い出のジャッジは、結構残酷だなぁと思いました。
もちろん、他のアプリにもコピーしておけば見られるけど、これは。。。えーっと、一応とっておくか。という程度のものは、たいてい見返したりはしません。
それにしても昔の、いえ、ほんの1,2年でも、写真の中の自分はもう存在しないのかと思うと、「今」とはなんて儚いのだろうと思います。
いろんな気持ちの私が、いろんな表情で、いろんな人と、いろんな場所で写っていました。
たとえば楽しそうな「あの頃」の写真。だけど今以上にしらないことも多かった。知らないから無邪気だった。今日と明日が同じであることが当たり前だった。なんとなく今日を過ごせば、なんとなく似たような明日が来る。そこに疑問も持たなかった。

人生の半分以上知ってる親友たちと2015年の夏に撮った写真。5年前の夏は、私にとってある意味転機でした。ふたりともお仕事頑張ってる。一人は子供まで出来た。彼女たちに恥ずかしくないように、しっかりと頑張っていたい。
苦しかった時代も、楽しかった時代も、見ようによっては苦く感じられるし、愛しくも感じられます。
古い写真をみていると、そのときに考えていたことをほんの少し思い出します。どうでもいいこともセットでね。
いつだって、そのときの私なりに悩んではいたはずです、苦しんでいたはずです。だけど、その悩みは永遠には続かないことも知っていたように思います。現に、その時とおなじ悩みなんて、今はほとんど抱えていません。
たいていのことは、時間が経てばどうでもよくなったり、問題はそこではないことに気付いたりするのですから。
今悩んでいることだって、おそらく1年後には忘れているでしょう。
この写真にうつる、5年前の私には、今の自分は想像できていませんでした。今も足りない。足りないけど、この頃よりも世界は広がっている。知ろうとしなければ、知ることは出来ません。
今日怯える明日は、行動しない明日。何も変わるわけがない「明日」。
1年後、もしも今日の写真を見て、何も思わないようなら、それはなんの成長もなかったということでしょう。
いらない写真は捨てます。
お洋服と和のうつわと珈琲豆のお店
Riyon
埼玉県熊谷市別府5-80-3
TEL : 048-533-9533
営業時間 :11時~18時
おやすみ:日/月曜/祝日

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久しぶりに昔の写真をみたら、なんでこの写真撮ったんだろうというものもあれば、1年経っても5年経っても、とっておきたい思い出も沢山あります。
お掃除の最中に昔のアルバムを見つけてしまったときのように、これはなんの動画だろうと再生してはケラケラと笑っていました。
仕事柄、展示会なんかで資料として撮るものもあるから、そういうのは古くなればなんにも考えずにゴミ箱に入れられるけど、思い出のジャッジは、結構残酷だなぁと思いました。
もちろん、他のアプリにもコピーしておけば見られるけど、これは。。。えーっと、一応とっておくか。という程度のものは、たいてい見返したりはしません。
それにしても昔の、いえ、ほんの1,2年でも、写真の中の自分はもう存在しないのかと思うと、「今」とはなんて儚いのだろうと思います。
いろんな気持ちの私が、いろんな表情で、いろんな人と、いろんな場所で写っていました。
たとえば楽しそうな「あの頃」の写真。だけど今以上にしらないことも多かった。知らないから無邪気だった。今日と明日が同じであることが当たり前だった。なんとなく今日を過ごせば、なんとなく似たような明日が来る。そこに疑問も持たなかった。

人生の半分以上知ってる親友たちと2015年の夏に撮った写真。5年前の夏は、私にとってある意味転機でした。ふたりともお仕事頑張ってる。一人は子供まで出来た。彼女たちに恥ずかしくないように、しっかりと頑張っていたい。
苦しかった時代も、楽しかった時代も、見ようによっては苦く感じられるし、愛しくも感じられます。
古い写真をみていると、そのときに考えていたことをほんの少し思い出します。どうでもいいこともセットでね。
いつだって、そのときの私なりに悩んではいたはずです、苦しんでいたはずです。だけど、その悩みは永遠には続かないことも知っていたように思います。現に、その時とおなじ悩みなんて、今はほとんど抱えていません。
たいていのことは、時間が経てばどうでもよくなったり、問題はそこではないことに気付いたりするのですから。
今悩んでいることだって、おそらく1年後には忘れているでしょう。
この写真にうつる、5年前の私には、今の自分は想像できていませんでした。今も足りない。足りないけど、この頃よりも世界は広がっている。知ろうとしなければ、知ることは出来ません。
今日怯える明日は、行動しない明日。何も変わるわけがない「明日」。
1年後、もしも今日の写真を見て、何も思わないようなら、それはなんの成長もなかったということでしょう。
いらない写真は捨てます。
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