ファッションによる集団意識の植え付けもあったんだねって今更。
- 2018/04/01
- 23:51
わたしの所属する、マッスルダイエット塾の塾長、マッスルさんが、実はフサフサさんだったことを知った4月1日(晴れ)。
桜も散っています。
明日にはすべて散ってしまうのではないかと、マッスルさんの髪が心配で眠れそうにありません。
こんにちは。
珈琲豆・器・洋服
埼玉県熊谷市のセレクトショップ【Riyon】みわです。
少し前、山縣良和さんが手掛ける「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」の、東京都庭園美術館で行われたという、ファッションショーの映像を観ました。
テーマは「After Wars(戦後)」。
ショーが始まると、まずはピンクのオーガンジーをまとったモデル。そしてその周りには、スーツをきたマスコミたちがマイクを向けています。

さまざまな衣装が発表される中、とりわけ私が気になったのは、制服を着た男子学生たちでした。
広島の平和記念館で見かけた修学旅行の学生たちが心に残ったと、山縣氏は語っていました。

(画像が汚くてすみません)
学ランはたしかに最近では見かけなくなったけど、とはいえ学生が集団でいるところなんて、その辺で頻繁に見かけます。
にもかかわらず、この違和感はなんだろう。
「集団」というワードが強く出てくる。
山縣氏によると、
みんなで同じ服装をするという日本特有の“集団性”の装いを表現したもので、「渋谷のハロウィンもそうだが、1人ではなく、集団仮装して目立とうとする文化も日本らしいこと」なのだそうです。

そうか。
学生が制服を着ることには、なんの疑問も持たなかったけど、言われてみれば集団であるということを、周りにもそして本人にも植え付けるうってつけのアイテムと言える。
気をつけないと、大多数が言ったものが正解だと思ってしまうのも、仕方がないのかもしれないと思わされる。
だって私たちは、同じ学生服を着て、学校に通っていたんだもの。
そういう意識。
安心感。
みんなで同じ服を着ていれば、誰が言ったのかわからないもの。
目立たないもの。
一方で、そこからハミ出そうものなら、すぐにわかる。
目立ってしまう。
綺麗に引かれたサークルの中で、私たちは守られていたんだ。
いい意味でも悪い意味でも。
私の高校時代は、スカート短め、ルーズソックスの時代でした。
私自身は、体育教師に見つかって怒られる面倒くささと、足の太さのコンプレックスとで、スカートはそんなに短くしていませんでしたが、制服がネクタイにブレザーだったので、ネクタイをきちっと締めると、気が引きしまるという部分はあったかもしれません。
集団意識。
仲間意識。
道徳心。
個性。
表現。
アイデンティティ。
お洋服1枚で、実は多くの意識を芽生えさせるのだと、改めて感じさせられました。

Keisukeokunoyaにもそれはいえることで、制服を脱いだ私たちは、本来お洋服は人とかぶるのが嫌なはずなのに、進んでそれを身にまとう。
それはなぜかといえば、もちろんそのアイテム自体の格好良さや、機能もありますが、それ以上に、それを着ることによって感じることが出来る、一つのコミュニティでの仲間意識を得たいからというのもあります。だって楽しそうなんだもの。
しかもそれは、ただ楽しいだけではなく、自分自身のお仕事へ活かすことが出来る意識でもあります。

集団は怖さもあるし、心地よさもある。自分次第で、どちらにも持っていける。
それを楽しい方に、学び取れる方に持っていけるのは、自分がその服を着ているという意識をきちんと持つことだと思うのです。
Riyon
埼玉県熊谷市別府5-80-3
TEL : 048-533-9533
営業時間 :11時~18時
おやすみ:日/月曜/祝日

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実はフサフサです。
— 油田圭介 ボディメイク専門のジムしてます (@oilysr) 2018年4月1日
今まで隠してて申し訳ございませんでした!#4月1日 pic.twitter.com/CMr8OIMunc
桜も散っています。
明日にはすべて散ってしまうのではないかと、マッスルさんの髪が心配で眠れそうにありません。
こんにちは。
珈琲豆・器・洋服
埼玉県熊谷市のセレクトショップ【Riyon】みわです。
少し前、山縣良和さんが手掛ける「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」の、東京都庭園美術館で行われたという、ファッションショーの映像を観ました。
テーマは「After Wars(戦後)」。
ショーが始まると、まずはピンクのオーガンジーをまとったモデル。そしてその周りには、スーツをきたマスコミたちがマイクを向けています。

さまざまな衣装が発表される中、とりわけ私が気になったのは、制服を着た男子学生たちでした。
広島の平和記念館で見かけた修学旅行の学生たちが心に残ったと、山縣氏は語っていました。

(画像が汚くてすみません)
学ランはたしかに最近では見かけなくなったけど、とはいえ学生が集団でいるところなんて、その辺で頻繁に見かけます。
にもかかわらず、この違和感はなんだろう。
「集団」というワードが強く出てくる。
山縣氏によると、
みんなで同じ服装をするという日本特有の“集団性”の装いを表現したもので、「渋谷のハロウィンもそうだが、1人ではなく、集団仮装して目立とうとする文化も日本らしいこと」なのだそうです。

そうか。
学生が制服を着ることには、なんの疑問も持たなかったけど、言われてみれば集団であるということを、周りにもそして本人にも植え付けるうってつけのアイテムと言える。
気をつけないと、大多数が言ったものが正解だと思ってしまうのも、仕方がないのかもしれないと思わされる。
だって私たちは、同じ学生服を着て、学校に通っていたんだもの。
そういう意識。
安心感。
みんなで同じ服を着ていれば、誰が言ったのかわからないもの。
目立たないもの。
一方で、そこからハミ出そうものなら、すぐにわかる。
目立ってしまう。
綺麗に引かれたサークルの中で、私たちは守られていたんだ。
いい意味でも悪い意味でも。
私の高校時代は、スカート短め、ルーズソックスの時代でした。
私自身は、体育教師に見つかって怒られる面倒くささと、足の太さのコンプレックスとで、スカートはそんなに短くしていませんでしたが、制服がネクタイにブレザーだったので、ネクタイをきちっと締めると、気が引きしまるという部分はあったかもしれません。
— 油田圭介 ボディメイク専門のジムしてます (@oilysr) 2018年3月26日
集団意識。
仲間意識。
道徳心。
個性。
表現。
アイデンティティ。
お洋服1枚で、実は多くの意識を芽生えさせるのだと、改めて感じさせられました。

Keisukeokunoyaにもそれはいえることで、制服を脱いだ私たちは、本来お洋服は人とかぶるのが嫌なはずなのに、進んでそれを身にまとう。
それはなぜかといえば、もちろんそのアイテム自体の格好良さや、機能もありますが、それ以上に、それを着ることによって感じることが出来る、一つのコミュニティでの仲間意識を得たいからというのもあります。だって楽しそうなんだもの。
しかもそれは、ただ楽しいだけではなく、自分自身のお仕事へ活かすことが出来る意識でもあります。

集団は怖さもあるし、心地よさもある。自分次第で、どちらにも持っていける。
それを楽しい方に、学び取れる方に持っていけるのは、自分がその服を着ているという意識をきちんと持つことだと思うのです。
Riyon
埼玉県熊谷市別府5-80-3
TEL : 048-533-9533
営業時間 :11時~18時
おやすみ:日/月曜/祝日

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