どこまでいっても天井がないものにしがみつくということ。
- 2018/02/11
- 23:51
先日、久々に新大久保に行きました。お友達と韓国料理を食べて、話をしたり、聞いたり、聞かなかったり、やっぱり聞かなかったり(笑)
ただもう純粋に、楽しかった。
ゆるっとしてるしふわっとしてるけど、いえ、「けど」というより「から」というべきか。
仕事のこと、最近のこと、その本心を隠すこともなく、ましてや裏もなく、話せることが楽なのだ。
「楽」という感覚は、誰に対しても持てるものではないと思う。
その存在が、ありがたい。

この投稿を見た友達から、言われました。
「すごく楽しかったでしょ」って。
こんにちは。韓国大好き。韓国料理も大好き。
珈琲豆・器・洋服
埼玉県熊谷市のセレクトショップ【Riyon】みわです。
よく考えたら、「頑張る」って、果てしない事だとは思いませんか。
周りから見て、そうでもなかったとしても、本人が「私は頑張ったのだ」と言えば、そうなのだろうし、逆に周りがなんと言おうとも本人が「まだまだだ」と言えばそういうことになる。
基準点はないし、合格点もない。何点とったから人に褒められるわけでもなければ、よほどの失敗でもしない限りは、けなされることもない。大人になると、そんなものだ。
私はよく自分に、「まだまだ余力を残している」と言う。(もちろん口には出していない。ヤバいヤツになっちゃう)
「そんなんで頑張った気になるなよ」って。
でもそれ(余力をのこすこと)も、あながち悪いこととは言えないのだって、最近思うことがありました。
「そんなに頑張らなくていい。もっと楽しんでいこう」
つい先日、友達にそう言われ、すぐに私はこう返しました。
「頑張ってる。。。確かに自分では頑張ってるつもりだけど、私は他の人ほど要領よく動けるわけでもないから、他の人以上にやらなきゃダメなんだよ。他の人以上にやって、初めて他の人と同じくらいになれるんだから。」
すると
「あんまり頑張られると、周りも頑張らなきゃいけなくなっちゃうんだよ。。。ダメな自分もいていいよ」
と言われました。
そんなふうに言ってもらえるほどは、頑張ってないけどね。。。
そう思ったけど、もう言わんとしてることもわかったので、飲み込みました。
努力とか根性という語彙を使うと過剰な気がする。
ただ「頑張る」ということは、ひどく漠然としている。
天井がないんだもの。
これだけ勉強すれば、希望の大学に受かるとは限らない。
これだけ運動すれば、理想の体になれるとは限らない。
これだけ考えれば、仕事がうまくいくとは限らない。
みんな、確約のないところで、はっきりと見えもしない前を見て、それでも走っているのだ。
はっきりとした将来を、見据えることなどできないのに。
(わかってる、走ってる人ばかりではないことを。でもそこまで視野にいれると、それこそ「人それぞれ」という便利な言葉を出してしまいそうなので、そこはあえて書かないこととする)
「なんでも結果がわかっていたら、効率いいのにな。勉強も仕事も人間関係も」
そうは思いませんか?
私は思います。たまに。いえ、しょっちゅう思います。
無駄な行動を省き、最短のルートで目的に向かう。
「・・・・・。」
ただね、つまんない。
「絶対」などありえないというけれど、安定したらきっと、新たな道を探し出してしまうのだと思う。
「この道を行けば、石も転がっていないし、5分で着くよ!」
そう言われたら、あなたはその道を選びますか?
それとも、もしかしたら危険もあるかもしれないけど、綺麗な風景が広がっているかもしれない、なんなら目的地に通じているかどうかさえわからないあっちの道を選びますか?
選択肢は多すぎる。どこへ向かったらいいのか。どのくらいのペースで走ったらいいのか。わからない。
でもそうやって、あれ?あれ?ってもがいているからこそ、こうして後ろから背中をさすってくれる人の優しさに触れることができるのだと思う。
ずっと休んでいたら、その手は添えられないし、かといって全速力過ぎても見逃してしまうもの。
Riyon
埼玉県熊谷市別府5-80-3
TEL : 048-533-9533
営業時間 :11時~18時
おやすみ:日/月曜/祝日

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ただもう純粋に、楽しかった。
ゆるっとしてるしふわっとしてるけど、いえ、「けど」というより「から」というべきか。
仕事のこと、最近のこと、その本心を隠すこともなく、ましてや裏もなく、話せることが楽なのだ。
「楽」という感覚は、誰に対しても持てるものではないと思う。
その存在が、ありがたい。

この投稿を見た友達から、言われました。
「すごく楽しかったでしょ」って。
こんにちは。韓国大好き。韓国料理も大好き。
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よく考えたら、「頑張る」って、果てしない事だとは思いませんか。
周りから見て、そうでもなかったとしても、本人が「私は頑張ったのだ」と言えば、そうなのだろうし、逆に周りがなんと言おうとも本人が「まだまだだ」と言えばそういうことになる。
基準点はないし、合格点もない。何点とったから人に褒められるわけでもなければ、よほどの失敗でもしない限りは、けなされることもない。大人になると、そんなものだ。
私はよく自分に、「まだまだ余力を残している」と言う。(もちろん口には出していない。ヤバいヤツになっちゃう)
「そんなんで頑張った気になるなよ」って。
でもそれ(余力をのこすこと)も、あながち悪いこととは言えないのだって、最近思うことがありました。
「そんなに頑張らなくていい。もっと楽しんでいこう」
つい先日、友達にそう言われ、すぐに私はこう返しました。
「頑張ってる。。。確かに自分では頑張ってるつもりだけど、私は他の人ほど要領よく動けるわけでもないから、他の人以上にやらなきゃダメなんだよ。他の人以上にやって、初めて他の人と同じくらいになれるんだから。」
すると
「あんまり頑張られると、周りも頑張らなきゃいけなくなっちゃうんだよ。。。ダメな自分もいていいよ」
と言われました。
そんなふうに言ってもらえるほどは、頑張ってないけどね。。。
そう思ったけど、もう言わんとしてることもわかったので、飲み込みました。
努力とか根性という語彙を使うと過剰な気がする。
ただ「頑張る」ということは、ひどく漠然としている。
天井がないんだもの。
これだけ勉強すれば、希望の大学に受かるとは限らない。
これだけ運動すれば、理想の体になれるとは限らない。
これだけ考えれば、仕事がうまくいくとは限らない。
みんな、確約のないところで、はっきりと見えもしない前を見て、それでも走っているのだ。
はっきりとした将来を、見据えることなどできないのに。
(わかってる、走ってる人ばかりではないことを。でもそこまで視野にいれると、それこそ「人それぞれ」という便利な言葉を出してしまいそうなので、そこはあえて書かないこととする)
「なんでも結果がわかっていたら、効率いいのにな。勉強も仕事も人間関係も」
そうは思いませんか?
私は思います。たまに。いえ、しょっちゅう思います。
無駄な行動を省き、最短のルートで目的に向かう。
「・・・・・。」
ただね、つまんない。
「絶対」などありえないというけれど、安定したらきっと、新たな道を探し出してしまうのだと思う。
「この道を行けば、石も転がっていないし、5分で着くよ!」
そう言われたら、あなたはその道を選びますか?
それとも、もしかしたら危険もあるかもしれないけど、綺麗な風景が広がっているかもしれない、なんなら目的地に通じているかどうかさえわからないあっちの道を選びますか?
選択肢は多すぎる。どこへ向かったらいいのか。どのくらいのペースで走ったらいいのか。わからない。
でもそうやって、あれ?あれ?ってもがいているからこそ、こうして後ろから背中をさすってくれる人の優しさに触れることができるのだと思う。
ずっと休んでいたら、その手は添えられないし、かといって全速力過ぎても見逃してしまうもの。
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